
【新陰流兵法・英信流居合術】 居合道とは「鞘の中にて勝つ」武道です。私たちは、居合を通して、現代社会でも通用する「刀を抜かずに勝つ」考え方を大事にしています。そのために居合道の業(わざ)の習得を目的とした本物の武術を学ぶとともに、小笠原流礼法を基礎とした正しい礼法と聖賢の書を紹介しながら武士道の考え方を学ぶことで文武両道の人になろうと日々稽古に励んでいます。現在4歳から80歳代の方々が日々楽しく稽古しています。
新陰流兵法は戦国時代に流祖・上泉伊勢守信綱(秀綱)によって開かれ、柳生石舟斎宗厳によって大成された剣術です。制剛流抜刀術、新陰流杖術も併習しています。
新陰流兵法
流派概要
新陰流兵法は、日本剣術最高の名流といえる流派のひとつである。流祖、上泉伊勢守信綱(秀綱)は、永正五年(1508年)上泉城(現群馬県前橋市上泉町)に生まれた。初め、新当流を学び、後に愛洲移香斎を師として陰流を修め(30歳)「転の道」を抽出し、新陰流を宣示した。
上泉伊勢守は室町幕府の将軍・足利義輝から「天下一」の称号を得るなど、その名声は天下に響き渡るものであり、多くの門人を輩出したが、中でもその流儀としての正当な印可は柳生石舟斎宗厳に受け継がれた。さらに、石舟斎から尾張柳生の祖となる嫡孫である柳生兵庫助利厳へ正当印可が継承されるとともに、徳川将軍家兵法指南役となる江戸柳生家の祖となった柳生但馬守宗矩へと道統が受け継がれることとなった。
(誠至館館長・浅野康人)
道統
流祖:上泉伊勢守信綱(秀綱)
→第2世:柳生石舟斎宗厳 →第3世:柳生兵庫助利厳 →第4世:徳川義直 →第5世:柳生連也斎厳包→(中略)→第20世:柳生厳長 →第21世:渡辺忠敏 →第22世:渡辺忠成 →浅野派:初代浅野康人


